その行事をした日が中国の年中行事になり、船首に龍の飾りを付けた船が競争するお祭りが生まれたと伝えられています。これが、ドラゴンボート・レース(龍舟比賽)の始 まりと言われています。チマキ(粽)の起源も、屈原の命日である5月5日(旧暦)に供養のために祭が行なわれるようになり、それが中国全体に広まったとされています。国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。そして、その風習は、病気や災厄を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったのです。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、それがやがて(約1300年前とも言われている)、日本に伝わって来たとされています。
・・・と、きょうは少しばかり、真面目に中国の歴史をチビッと紐解いてみてしまいました。それにしても、日本文化と云われているモノも、かなりの割合で中国からの伝来と云う事がわかります。写真は、マレーシア華僑の友人からいただいた、自家製の粽(A)と、スーパーマーケットで大量に売られていた粽(B/C)。久々にオオサラdeサラダを作ったのでパチリとイってみやしたァ~(D)。ちなみにドレッシングは、セサミドレッシングでありやんす。今晩の快歩は、18時50分から21時ちょうどまで。