2011/06/06

きょうは旧暦の5月5日端午の節句


ちゅうことで、こちらではきょう日本の「子供の日」にあたる「端午節」である。それと、端午節には欠かす事のできない「ドラゴンボート・レース」のファイナルの日でもある。ちなみに、この端午節の歴史を紐解いてみると、その長い歴史と中国文化の偉大さをあらためて思い知らされる。端午の節句は約2300年前から始まったとされ、楚の国に実在した国王の側近、「屈原(前340頃~前278頃)」という政治家に由来すると云われています。詩人でもあった屈原は、正義感と愛国心が人一倍強く、よって人々の信望をも集めていました。しかし、屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。その時の想いを歌った長編叙事詩「離騒」は中国文学史上、不朽の名作と言われています。故国の行く末に失望した屈原は、汨羅川に身を投げ自身の命を絶ってしまいます。それを知った楚 の国民達は、川で船に乗り込み太鼓を打って魚を脅し、粽を投げ「屈原」の死体を魚に荒されないようにしたと言う。

その行事をした日が中国の年中行事になり、船首に龍の飾りを付けた船が競争するお祭りが生まれたと伝えられています。これが、ドラゴンボート・レース(龍舟比賽)の始 まりと言われています。チマキ(粽)の起源も、屈原の命日である5月5日(旧暦)に供養のために祭が行なわれるようになり、それが中国全体に広まったとされています。国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。そして、その風習は、病気や災厄を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったのです。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、それがやがて(約1300年前とも言われている)、日本に伝わって来たとされています。

・・・と、きょうは少しばかり、真面目に中国の歴史をチビッと紐解いてみてしまいました。それにしても、日本文化と云われているモノも、かなりの割合で中国からの伝来と云う事がわかります。写真は、マレーシア華僑の友人からいただいた、自家製の粽(A)と、スーパーマーケットで大量に売られていた粽(B/C)。久々にオオサラdeサラダを作ったのでパチリとイってみやしたァ~(D)。ちなみにドレッシングは、セサミドレッシングでありやんす。今晩の快歩は、18時50分から21時ちょうどまで。