2011/03/26

ガンバレJAPAN!チャリティコンサート決定!

来る4月3日(日曜日)、午後3時から「GANBARE JAPAN!」と云うタイトルで、チャリティコンサートをおこないます。入場料から、東北地方太平洋沖地震で被災された方々への義援金に、澳門赤十字を通じて充てることにしております。 準備期間も短く微力ではありますが、関係者一同、精一杯やらせていただくつもりです。 イベントの趣旨に賛同し、参加していただけるバンドは、香港から2バンド、澳門から3バンドの計5バンドが出演します。 ATM (J-Pop & Rock系で日本人と香港人の混合バンド)、The Sonic Spheres (Hard Rock 洋楽のロックをメインに、香港のライブハウスで活躍中の日本人バンド)、L.A.V.Y.(Pop & Rock澳門人と日本人のオリジナル曲中心のGさんバンド)その他、澳門人のニューゼネレーション・バンド二組の5バンドが心のこもった演奏をします。

日本ファンの多い澳門のひとたちの励ましと協力のもと、みんなの気持ちを届けましょう。入場料は、100パタカ(12歳未満は無料)、会場内には実費にて、ソフトドリンク等をご用意させていただきます。会場は、ドッグレース場近くの工業ビル内の10階になります。 当日は、目印等を配置致します。当日の会場の住所:美副将大馬路萬基工業大廈10階B「XL-CREATION LIVE SPACE」。バスのご利用は33・25・22番等が便利です。みなさまお誘い合せのうえ、できるだけ多くの方々の参加をお願いしたいと思います。尚、Facebook等のサイトにも詳しい内容をアップしてありますので、ご確認ください。左のフライヤーは、クリックで拡大します。サイズは394kbほどありますので、PCによっては拡大しない場合も考えられますので、予めご了承くださるようお願い申し上げます。

2011/03/24

本物のイタリアンを堪能し大満足のG

3月23日/あさはダラダラと起きてしまい、どうにかスッキリしたのが9時30分過ぎ。あわててシャワーをして朝めしを簡単にイク。PCは後回しにして、13時に引き取りに来るギターをアンプに繋ぎ、爆音で掻き鳴らし最終チェック。バッチし仕上がっていることを確認してひと安心のG。続いてPCオープンし、メール&ニュース等をチェック。それにしても、福島原発はどうなっているのだろうか?

危険をも顧みず、決死の覚悟で作業にあたっているレスキューの方々の努力にも拘らず、未だ収束できぬとは?自然災害とは言え、東電の隠蔽体質が招いた結果と云っても過言ではなかろう。14時を過ぎて無性にお腹が空いてきたので、ランチをとるためALTIRA内にある「AURORA」まで出掛ける。途中、Johnに電話を入れ合流することに。で、行った時には14時30分をゆうに過ぎてしまっていた。

時既に遅しと云う事で、スタッフより「ランチの時間は終わりました」と言われGさんガックシ!ではと云う事で、珈琲でも頼むか?と思ったところで、Co女史&こちらのシェフであるMi氏を発見。挨拶を交わし「ランチをしに来たのだが、終わってしまっていて残念」と伝えたところ、ナンと!作ってくれると云うではないか。何がイイ?と聞かれたものの「お任せします」と言ったのは言うまでもない。少しして、Johnも加わりCoさんと3人で、隠居生活などの中身のこゆ~い?話や広く深~く歓談する。

でもって、お楽しみシェフ直々のスペシャル・ランチを無事いただくことが出来Gさん大満足。内容はと云うと、ナンとトリュフを使ったキノコの濃厚スープとオマール海老のパスタで、彼の料理に対する信条ともてなしの心が伝わってくる、美味でナンと贅沢なランチとなった。感謝感謝である。16時ちかくまで長居をしてしまいJohnとふたりで「銀豊茶餐廳」までゆき。そこでMichaelと合流し久々の3G会談となる。今晩の快歩は20時15分よりスタート、終了は22時ちょうど。写真は、きのうにひき続きギャラクシー、ホテルオークラ、バイヤンツリーなどのホテル群が5月15日のオープンに向けて、いよいよ最終作業に入ってきたようだ。

2011/03/23

G、猫に影響を受け睡魔が襲う

3月22日/8時30分起床、いつものようにシャワーをして朝めし。一連の作業を熟してランチは13時30分から「永利軒」でとる。Yu女史も、こちらでの飲茶をご所望のご様子なので、後日「日本人かい?」のメンバーと一緒に、こちらでできたらと思っている。

澳門は狭いので、此処で数人の知り合いなどに会う。澳門には所謂高級広東料理の店は多い。とは云うものの、軒数は多いが高級とは名ばかりで、残念ながらイマイチなところが多いのも事実。したがって、自分の偏狭さと依怙贔屓で選ぶと、この「永利軒」は澳門の広東料理の名店ベスト3に入る。

で、マネージャーのMichelleやスタッフたちと会話をしながらも、約1時間ほどでランチを済ます。でもって、買い物のためにセナド広場へ。ダイソーでサクサクと買い物をして靴屋をのぞきまわるG。とある靴屋で、昼寝をしている猫を発見!Gさん思わずパチる。それにしても、余りにも気持ちよさそうに寝ているので、此方まで眠くなってきたので、慌てて自宅に戻る事に。急いでもどってはみたものの、眠気なんぞそんなに長続きするわけもなく、スッカシ何処ぞへと吹っ飛んでおり、眠る事が出来ず終い。仕方なくギター作業を再開する。快歩は20時から21時50分まで。写真は、クリックで拡大します。

2011/03/22

Gさん、またまたやたら動きまわる

3月21日/あさから14時までは、いつもと殆ど同じパターンで行動する。でもって所用で、タクシーに乗って先日も行った澳門イミグレーションへ。それにしても、澳門政府のスタッフは以前(10年以上前)に比べると、格段に良くなっていることに気が付く。スタッフは丁寧で親切、言葉使いも実に礼儀正しくビックシのG(自分が年長者だからかも?)。

用事を済ませた後は、バスを乗り換えながらグランド・リスボアへ。もちろん、用事は遅めのランチをとるため。前回、フィレステーキで失敗しているので、きょうは無難にシュリンプ・ビスクと、シーフード・スパゲッティ(メニューではペンネになっているが、言えばスパゲティに変更可)。お腹がパンパンになったところで、所用を済ませるため新馬路、セナド広場付近、南灣界隈を歩きまわる。18時、自宅にもどりギターのリペア&セットアップを再開する。

20時になったところで、快歩をスタートする。21時20分を過ぎ、最終地点のマックにあと少しで到着というところで、Kさんから電話が入り近くのタイ料理にて合流してYuさん、Kさん、自分の3人で暫し歓談。話しが弾み過ぎ?気が付いたら既に23時に結局なろうとしていた。でもって、自分はひと足先にひきあげシャワーをして作業再開。写真、左からKさん、Yuさんのおふたり。ハッキシ言って、写真失敗しました。素敵なおふたりなのに、ホントすみませ~ん。反省することしきりのGに免じてお許しを・・・・・・。

2011/03/21

報道の自由とは言うけれど・・・・

3月20日/あさは9時起床シャワー、朝めし、珈琲、PCでのメール&ニュース等のチェックを済ませ、作業開始。Gomezから電話が入り、13時からギターの事で、いつものCaféにて相談を受けることに。13時ちょい過ぎにAndyから飲茶のお誘い。最初OKを出したものの、話しが長引き彼に電話を入れ次回と云う事にして貰った。

15時少し前に話は終了し、その10分後にMichaelから電話が入り元ハイアット・リージェンシーの「現Regency Hotel」のCaféにてG会談。でもって、テニスラケットを抱えたMaさんを見掛けたので、一緒に珈琲ズルズル。で、今度はToさんが加わり、その後お嬢さんのKaさん、少ししてCoさんKさんも合流して、いつものG会談と云うよりも、チョッとした在澳門日本人会婦人部の集まりとなる。でもって、自分とMichaelはここで退散する。自分は「新苗超級市場」に寄って買い物。サクッと買って自宅にもどり、ギター修理作業を再開。今夜の快歩は20時30分から22時ちょうどまで。

写真は、どこかの国の手先のような記事が目立つ日本のマスゴミの急先鋒「朝日新聞社」。その新聞社が発行する「AERA」の表紙で、彼ら流の風評拡大を図った?が、苦情が殺到したので慌てて謝罪。しかしながら、お詫びはナンと「ツイッター」上でおこなっただけ。メディアは、世の中に対する影響力と云うものを考えず、平気で「ペンは剣よりも強し」と豪語する。これは、ある意味文字のテロ行為である。

2011/03/20

あらためて知る日本の影響力

以前より、毎日のようにこちらのTV局で放送されている日本関係のニュースも、ある意味あたり前ではあるが、ここ一週間は余計に日本関係の情報の伝わり方に注意をしている。18日のこのブログでもお伝えしたように、鹽(塩)や味噌、醤油までもどう云う訳か買い漁っているひとたちが多く、日本製の粉ミルクなどはそっくに店頭から姿を消していると云う。

でもって、あさはふつうに起きてシャワー、朝めし、PC、ギター作業と云う一連の流れ後、13時よりグランド・リスボアでK氏とランチをとる。ふたりして奇遇にも印度ビーフ・カレー。2時間ほどかけてのランチ後は自宅にもどり、作業続行。時折、今晩のライヴのための練習。21時過ぎに自宅を出てライヴをおこなう「New Face」へ。10時からリハーサルをおこない11時から本番。1セット45分~50分を2本。終了は日付けも変わった午前1時。

ローカルの友人達も来てくれてたので、演奏にもリキが入ったのは言うまでもない(本当はいつもでなければならないのだが・・・)。その後、友人がオーナーを務める会社のひとたちも来てくれる。みなさん、日本の事を非常に案じてくれていてGさん感激する(泣き出す方もいた)。実際に仙台に行ったこともある方や、育ってきた過程の中で、日本のカルチャーやサブカルチャー(漫画やドラマなど)などに慣れ親しんだ人達が多いことが、あらためて実感できた。先人たちの偉大さをあらためて思い知る。で、自宅にもどったのは結局、明け方の4時になろうとしていた。写真は、クリックで拡大します。